唐突だがエッセイの一場面について悪態をついておく。といっても作品への不平不満ではない。
『アラフィフひとり おためし山暮らし』 7. 犬語会話
この回では、近所の住民が野生の狸を餌付けにしていることに対し、ためらいがちにだが批判的な心情が綴られている。
しかし餌付けの是非以上に、読んでいて私が引っかかったのは、これ。
「ああ、それは小百合だ」
「サユリ?」
「美人だったでしょ、そのタヌキ」
このくだりは、ここの住民(の一部)の野生動物との距離の取り方をよく表しているように思う。(そしてそれは、餌付けという行為とも無関係ではないだろう。)
野生動物に名前をつけて呼ぶという、ネットの観察動画チャンネルにもよく見られるこうした態度に多くの人を駆り立てるものは何だろう。それは親愛の情ではあるかも知れないけれども、同時にそこには、自分と動物との間に疑似的な主従関係をも無意識のうちにこしらえんとする意図が潜んでいるように私には見える。あるいは庇護する側・される側という関係性と言ってもいい。いずれにしても何様のつもりかと思う。
一見これは、あからさまな自然破壊や動物虐待とは対極にある態度にも見える。しかし私には、むしろ根深い人間の傲慢さの表れのように思えてならない。
子育てブログの類に「○○ちゃん、がんばったね、えらいね」などと、それこそ庇護者気取りでコメントしちゃったりする読者の態度とも重なって見える。
更に言えば、「女性社員を"かわいがる"」といった体の、やさしさの衣をかぶった差別の構図とも似てはいないだろうか。
「一歩下がれ」と私は言いたい。

